★戦争にはならないのではないか? 戦争はできないのではないか?
 ☆過去とは異なって、戦争抑止のための諸条件が、今の日本には存在するではないか?

 平和国家日本、民主国家日本という観念に依拠できなくなったわたくしですが、それでもわたくしの危惧を客観的に捉え直す様々な要素について、わたくしは考察を続けました。
 まず最初に注目したのは、やはり「憲法」でした。確かに、前述の如く、憲法は、その本来の役割を前向きに果たしてはおりません。平和国家日本という実質を保証するようには、憲法は生かされておりません。
 ただ、ベトナム戦争などにおいて、たとえば自衛隊の参戦というが如き日本政府の暴走を食い止めたのは、やはり他ならぬ憲法の存在が大きかったからだとは言えるでしょう。憲法に即して政治が営まれることはありませんでしたが、政治が憲法に阻まれることはあったと言えると思います。
 そうした<抑止力>としての憲法の役割はまだ生きているという事実から、戦争に突入する事態を、憲法が防止する可能性がありや否やと、わたくしは問うてみました。
 が、<解釈改憲>という事実は、その問いに否定的な回答を与えました。本来の憲法そのものは否定している事態でも、解釈によって、憲法上も可能であると判断されてしまうという事実は、次に、その解釈自体が変更されてしまえば、前回、政府与党でさえ実行できなかった事態が、今度は合憲とされることも有り得ることを意味します。
 <抑止>という形は常に有り得るとしても、実質的な事柄は、たえず変動していく恐れが多分にあります。解釈改憲のもつ陥穽と欺瞞は、そうした点にあるでしょう。解釈はあくまで解釈であるかぎり、主観的な領域の為すことであり、首相や閣僚など政府与党の主体が変われば、主観的な営みによって、憲法解釈もまた変わり、抑止となる事態そのものも、変動してしまうことになります。実際、政府与党は、解釈改憲によって、憲法の禁止事項をその都度変えてきたわけです。 従って、ベトナム戦争当時、政府与党でさえ、憲法に抵触するという理由で断念した政策が、今後とも同様の措置を取り続けられる保証は全くないことになります。
 反戦平和の立場、左翼革新の立場の人々にとっては、その本来の意味合いから、憲法が戦争抑止・戦争防止の決め手であると認識し得るわけですが、憲法が扱われている現実をみれば、その願いは決して確固として保証されたものではない、とわたくしは認識せざるを得ません。

 さて、民主国家に対する信頼の喪失を論じる上で、どうしても欠かせない問題に、「政治と国会における民主主義の欠如」があります。言うまでもなく、民主政治の根幹は、徹底した話し合い、討論の遂行にあります。そしてそれは、物の道理・論理的正当性を根拠として為されるべきものです。ところが、日本の政治においては、党利党略が横行し、政治的駆け引きが優先され、必要な論戦がほとんど為されません。これは政府与党だけの責任ではなく、国民的合意の形成を絶対不可欠のものとして世論形成に努めることを怠って、殊更国会の内外で、政府与党との政治的対立を求めた当時の左翼革新政党にも責任の過半があると言わざるを得ませんが、とにかく、政治的対立をもたらしている課題に対して、考えるべきは考え、論ずべきは論ずる、という事が大きく欠落しております。政府与党も、左翼革新政党の「革命主義」を逆手にとって、真摯な論争を挑むことなく、嘘と欺瞞でその場かぎりの答弁に終始し、結局は、「数の論理」で事を通すという、極めて非民主的な政策決定を行なっております。
 事は政局や国会の中だけに限るわけではありません。日本の保守政治は、また、「民意」を無視する点でも際立っています。60年安保にせよ、70年安保にせよ、ベトナム反戦運動にせよ、あれほどの多くの国民の意思表示があったにもかかわらず、その「民意」と、真摯に向き合うことは、いっさいありませんでした。最近の話でも、消費税、不良金融機関への公的支援、政治改革の問題などで民意を大きく裏切る政策をとり続けていることは、ご案内のとおりです。
 わたくしは、こうした様々な事実から、民主国家日本の脆弱さを思わないわけにはいきません。日常の状況の中では、それなりに、民主国家としての体裁を保ちますが、いったん、非日常の状況下におかれると、その肝心な時に、民主主義は、いとも簡単により「日本的秩序」の前に、斥けられてしまうのです。まさに<擬制民主主義>とでも称すべき実態がそこには存します。

 平和憲法があり、平和国家・民主国家として戦後を生きてきた日本が、再び戦争に関与するだろうか、という疑問に対して、わたくしは、過去の歴史の地続き性・同一性の問題と、戦後理念に対する反動の歴史の実態を指摘しましたが、さらに、戦後の状況への対応をみても、わたくしの危惧は根拠があると言えます。
 日本の平和国家としての証を問う大きな状況としては、朝鮮戦争とベトナム戦争があげられるでしょう。その二つの重大な局面に対して、日本はどのように対応したのか。既にご承知かと存じますが、日本は、朝鮮戦争の際には、「朝鮮特需」と言われる好景気に湧きましたし、ベトナム戦争の際には、アメリカの盟友イギリスでさえ、米軍機による北爆を批判する立場にたったのに対して、日本はいち早く支持を表明したばかりか、最後まで支持し続けた特異な国でした。沖縄返還前の事で、沖縄基地の利用については、直ちに日本政府の暴挙と批判するのも酷かもしれませんが、三沢基地から米軍機が飛び立った事もあったと言われ、ベトナム全土にばらまかれたナパーム弾も事実上、日本で生産されていたという話もあり、いずれにせよ、日本がベトナム戦争に深く関与した事実は否めないところでしょう。当時、国内でも、ベトナム反戦運動が盛んであり、その事で、日本政府に反省を強い、平和国家に抵触しない行動を取らせるといったほどの影響を与えることはできなかったものの、自衛隊の連合軍参加という、恐らく政府与党が望んだに違いないシナリオの実行を食い止めることができたわけですが、もし市民運動がそのように盛り上がりをみせなかったとしたら、既に、当時、日本は、ベトナム戦争に軍事的に深く関与していたであろうと、わたくしは推測致しております。それほどに、当時の日本は、反戦平和という理念から遠いところにいたと、言わざるを得ません。

 こうして、過去の歴史の持続性・同一性と、戦後理念に対する反動の歴史の実態と、時代状況への対応について改めてみてきたわけですが、これらの事実から、わたくしの心の中で、平和国家日本、民主国家日本というイメージが、12年前当時、脆くも瓦解していったのでした。
 


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