さて、次の考察は、「言論の自由」についてです。これも、わたくしの危惧をまともに受け止めない多くの人々によって、「平和の砦」として頼りにされているものです。
 確かに、日常生活の中で、政治を論じても、政府批判を厳しく口にしても、権力の恐怖を味わうことは今の日本ではありません。
 従って、例えば、自衛隊や民間部隊が報復攻撃を受けたり、沖縄がミサイル攻撃を受けたりという事態にでもなればともかく、まだ米軍の後方支援を開始する直前の時点で、しかも、ある日突然に米軍が軍事行動を開始した場合など、まだ言論の自由は十分に機能することでしょう。
 しかし、政治家の場合にも述べた事ですが、北朝鮮との軋轢が日々を追って激しくなっていき、北朝鮮への反感や不信が国民の間に広がりをみせている状況では、言論の自由を行使するにもよほどの勇気と覚悟が求められることになるでしょう。反戦平和を唱えることは、軟弱であり、無責任であり、偽善であるとして、非国民・国賊という言葉さえ投げつけられるに至るでしょう。
 そして、事は、そうした社会的風潮だけの問題では済まないと思われます。今後ガイドライン法案が成立した以降は、いわゆる「有事体制の確立」に向けて本格的な主張が展開され、その中で、言論の自由も一定の制限を設けることが取り沙汰されると思われます。その場合、勿論解釈改憲という形がまず行われ、やがて、憲法改悪が俎上にのぼることでしょう。言論弾圧の法制化という恐るべき事態の到来です。
 そして、ここで一つ忘れてはならないのは、そうした言論弾圧の法制化の中で、天皇の国家元首化も進められ、それが成就されれば、事実上の参戦という事態に至る以前の時点で、現天皇ご自身がそれを望まれるか否かはわかりませんが、客観的には、天皇が、国策の最高遂行者として君臨し、反戦平和を唱える者は、政府に抗するばかりか、超越的存在としての天皇にも背く者であるとの観点から、強い糾弾を受けることになるという事です。
 勿論、そうした天皇を批判することは、現在も確固として存在する「天皇制タブー」が一段と強化された状況の下ではまずは不可能でしょう。よしんば、そのように、過酷な状況の中で、たとえ勇気と覚悟をもって、国家元首としての天皇批判・反戦平和の声をあげたとしても、国民的コンセンサスが形成されていなければ、それは少数意見として政治の場で斥けられるだけに終わるでしょう。とにかく、この国では、あの60年安保の際にも、「声なき声」と言って、国会を取り巻く多くの国民の意志は、無視されたほどですから、たとえ言論の自由が、過酷な状況の下で勇敢にも行使されたとしても、それが「戦争の抑止」に効果を発揮することは、残念ながら、ほとんど期待できないと思われます。

戦争抑止が可能かどうかのわたくしの考察は、次にマスコミに向かいました。
 この「マスコミ」の存在も、多くの国民や知識人たちの間で、「平和の砦」として、強い期待を抱かれているのです。
 日頃から政府与党批判を繰り広げているマスコミだから、もし日本が戦争に進むような事態があれば、真っ先に反戦平和の立場から批判を展開するだろうし、国民への影響力も絶大なので、政府与党の暴走を食い止めることができるだろう――というのが、一般的な認識であり主張です。
 たしかに、日頃の報道をみていると、著名なキャスターがさかんに政府批判・政権与党批判を口にしていますし、国民世論の声も、おおかたマスコミの論調を反映することから、そうした期待がマスコミに託されても無理からぬところかもしれません。
 しかし、現実には、その期待は過剰な期待と言わざるを得ないと、当時わたくしは考えておりました。
 その理由を幾つかあげることができます。
まず第一に、日本のマスコミは、政局を追いかけるばかりで、歴史や状況の真相を恒常的に追求することはしない、という点です。
 例えば、平和や憲法に関する問題も、国会的論争の範囲でのみ取り上げるに過ぎないのです。
 問題をわかりやすく説明するために、現在の状況でその点を指摘したいと思います。
 現在いわゆるガイドライン法案が争点になっているわけですが、国会では、原案通り可決かそれとも修正案の可決かという点に焦点が絞られています。或いは、具体的な事柄としては、「国会の事前承認」が必要か否かをめぐって、また「周辺事態」とはどこをさすのか(つまり台湾や中国まで含めるのか否か)をめぐって、政党間の対立が生じていることを、連日報道し、その成り行きが大きな焦点であるかのように扱っております。
 そこでは、原案どおりにせよ修正案にせよ、そもそもこのガイドライン法案を可決することが是なのか非なのか、という論点が完全に欠落してしまっています。
 また、「国会の事前承認」といっても、こんにちの政治家たちの反戦平和意識と護憲意識など、その思想と哲学をみたとき、「国会の事前承認」を義務づけたとしても、ほとんど戦争抑止の効果は期待できないと言わざるを得ません。尤も、公平な見方をすれば、彼らとて、例えば、ある日突然アメリカが強引に軍事行動が開始した場合には、慎重な対応を求めるくらいの良識ある判断力を示すかもしれません。が、北朝鮮の韓国への侵攻が度重なるとか、テロ行為が頻発するとか、北朝鮮の側に平和を脅かす問題行動が顕著にみられた場合には――たとえそれ以前にアメリカや韓国そして日本の側に、北朝鮮に対する過剰な封じ込め政策や敵対行動があったとしても――彼らは、おそらく容易に米軍の行動を支持し、またそれに全面的に日本が協力することもやむを得ないと判断することになるでしょう。一見、正義に立つかにみえるこの「軍事制裁」に、国際紛争を軍事力によって解決する道を選択しないと誓った平和憲法を持つ日本が参加する、まして、過去において、「日韓併合」という名の植民地支配を行った民族に対して、再び、武力行使をする同盟国に対して、後方支援とはいえ全面的に支援するという事は、決して許されるべき事ではないとの知的で理性的な認識と判断を、彼らが示すことは期待できないでしょう。実際、彼らの存在は、「平和の砦」たりえないと言わざるを得ません。しかし、マスコミには、「国会の事前承認」問題が、政党間でどう決着がつくかに対する関心はあるものの、そうした政治家たちへの厳しい認識と問いかけは皆無です。

 「周辺事態」の問題でも、マスコミの対応は妥当なものではありません。「周辺事態」がどこを指すのかがさも焦点であるかのように報道していますが、そして実際に国会ではそれが争点になっているわけですが、この論争の陥穽に、マスコミは気づいていません。つまり、争点は、はっきり言えば、周辺事態に於ける周辺とは、台湾を含めるのか否か、中国本土を含めるのか否かという点にあるわけで、それは確かに日本にとって大きな関心事には違いなく、そこを見極めることそれ自体は必要なのですが、しかし、逆に言えば、もし政府与党の説明のように台湾や中国を含めるわけではないという事ならば、「周辺事態」の問題は解決するというものではないはずです。

 日本にとって、台湾・中国問題と同様、大きな関心事であり、かつより危険度の大きい問題こそ、韓国・北朝鮮問題なわけで、さきの「周辺事態」の論議は、それを含めることを前提にして行われている点に、大きな危険がはらんでいます。そもそも「専守防衛」を戦後長い間原則としてきた日本が、今、「周辺事態」との言葉で、日本の主権が侵犯されたわけでもない他国の紛争に関与すること、そこに問題の核心が存するのであって、そのことをマスコミは、明確に見据えて、あたかも「周辺事態」を特定すればこの問題点は解決するかのような、台湾や中国を含めなければ周辺事態の定義に問題はなくなるかのような、周辺事態の問題は解消されるかのような欺瞞的な報道に終始すべきではないはずです。
 しかし、そうした「周辺事態」問題の核心を追求する姿勢は全くなく、ただ与野党間の選挙協力を絡めた政治的駆け引きの中で、「周辺事態」問題が焦点となっている政局を追いかける報道に終始するばかりです。
 本来ならば、このガイドライン法案――そもそも、アメリカでは「ワーマニュアル(戦争の手引き)」と呼んでいるものですが、それをガイドラインなどと翻訳して核心をぼかしている点も問題ですが――に対して、マスコミが、「マスコミが戦争反対の声を率先してあげるから戦争にはならない」との、多くの知識人や国民の期待の声にこたえるなら、明確に、反対の意志を示して、大々的なキャンペーン、天皇死去の際の報道体制にも匹敵するほどの報道体制を取るべきですが、しかし、それが「報道の中立」という立場から為し得ないとするなら、せめて、先に述べたような、問題の核心に迫る論点追求をなし、国民に、その是非如何を問う役割を果たすべきでないでしょうか。
 しかし実際には、それすらせずに、現実の政局報道に終始している実態は、マスコミが、国民の願うような「平和の砦」足り得ない証左と言って過言ではないでしょう。

 平和の問題で、日本のマスコミに過大な期待を抱くわけにはいかないというわたくしの思いを裏付ける理由はまだ幾つかあります。
 その一つは、重要問題を、国会で既に事実上決着済みになってから、アリバイ証明のようにして取り上げるという事です。今までにPKO問題や小選挙区制の問題の時など何度もそういう事がありましたが、今回のガイドライン法案でも、そうです。状況に対して正しい立場を取る良識派の代表筑紫哲也氏も、残念ながらその例に漏れないのです。実際、こうしてダグラスさんへのインタビューもあまりにも時期遅きに失した感は否めません。
 さらに、これも強く指摘しておきたいのですが、マスコミは、重要な政治的問題の論争を取り上げる時、政府与党の政策や主張に対して批判的な立場の言論を報じるに、ほとんど常に、戦後左翼的な位相からなされる主張を採用するのです。保守対左翼という構図はもう古いと言いながら、結局は、相も変わらず、戦後左翼の言論を取り上げて、いずれが正当かと、論争を措定するのです。
 例えば、PKO法案の際も、自衛隊の海外派遣賛成派の主張に対して、自衛隊を違憲とする絶対平和主義の立場で、反米意識も加わった国際PKO活動も否定する主張、戦後反体制の主流であった左翼革新的言論をアンチテーゼとして取り上げるのみで、自衛隊を容認する立場で、武力行使もふくめた国際PKOの活動も容認する立場をあわせもつ「現実主義」の立場にたった場合でも、過去の歴史とそれに対する戦後日本の対応、および戦後日本の平和主義の実態と近年の日本の覇権主義・大国主義などネオナショナリズムもしくは新ナショナリズムの台頭、そして、朝鮮半島にPKO自衛隊が出動した際の報復攻撃の危険などを根拠として、日本のPKO参加、自衛隊の海外派遣に対しては、時期尚早として反対せざるを得ないという思想言論が成り立ち得ることを提示しないのです。
 PKOへの自衛隊派遣に対して、賛否いずれかに決めかねている層の国民に対して、より説得力のある(これは、わたくし自身の言論活動の体験から実証済みです)、この「現実主義」的思想言論を、保守派の賛成論に対置することを決してしないのです。
 或いは、この思想言論が成立し得ることを考察していなかっただけかもしれません(となれば、それはそれで、国民意識の実態を認識し得ないということで、平和の砦と期待されるマスコミとしては大きな汚点となりましょう)が、とにかく、保守の思想言論に対して、常に戦後左翼革新の思想言論を対峙させる古い構図に固執する結果、結局は、保守の思想言論が、世論形成の主流になっていくという現象を引き起こし続けています。
 また、上記でも触れましたが、マスコミはこの平和の問題、戦争の問題という最大級に重要な問題でも、特別編成をする気配すらみせません。事件や災害などの社会的関心事に遠く及ばない扱いに終始しています。僅かのニュース報道の中で遅蒔きながら取り上げるだけでは、圧倒的な量の娯楽や実用の記事や番組に押され埋没してしまいます。
 そして、これらの実態に関連するのかもしれませんが、マスコミ自身の右傾化や転向、その商業主義も、事の限界を示していると、わたくしには思われます。
 ただし、公平にみるならば、一つ、マスコミが自主的に反戦平和の大きな声をあげる可能性があります。それは、米軍の後方支援活動を開始する直前の時点です。政治家のところで述べたように、ある日突然アメリカが軍事行動を開始した場合には、政治家同様、反戦平和の意識が急速に盛り上がりを示すかもしれません。それに、これは政治家の場合とは異なって、不穏な情勢が続いて北朝鮮への疑惑と批判が高まっている場合でも、軍事行動には慎重な対応を取るべきだとの論調は起きるかもしれません。
 が、事そこに至れば、政治家・政党の大勢がマスコミに同調しないかぎり、アメリカの要請を拒否する政策はあり得ないでしょう。
 いずれによ、マスコミを「平和の砦」と期待し信じることは、こんにちの実態をみるかぎり、ほとんど幻想に近いものがあると、言わざるを得ません。
 わたくしは、このマスコミを論じるにあたって、便宜上、最近の状況からその実態を考察しましたが、勿論、12年前当時のマスコミにも、ここで取り上げた諸々の現象は明瞭にみることができたことを、確認の意味で申し上げておきたいと思います。わたくしは、そうしたマスコミの実態を認識・考察するに及んで、マスコミに戦争抑止の大役を任せて、安穏としてはいられないと悟ったのでした。
 


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