さて、国民の意識感情の問題でさらに二つ指摘しておかなければならない事があります。それは、「時代状況への逼塞感」と「どうせ自分が反対しても、世の中変わらないという虚無感・無力感」です。
 この両者とも、状況を反戦平和の方向に動かすのではなく、戦争に向かって突き進ませてしまう点で、無視し得ない現象です。
 尤も、12年前の当時は、客観的な状況としては既に、こんにちに繋がるかなり深刻なものがあったのですが、国民一般の精神的実態としては、閉塞感、虚無感・無力感のいずれも、さほど顕著ではなかったと言えます。
 しかし、わたくしは、遠からず、国民にこの「病」が浸透していくであろうことを、憂えておりました。実際、政治不信という形で、それは間もなく広く浸透し始めました。そして、今や、平和の問題に対してではありませんが、選挙における異常に低い投票率となって表れる政治不信は、どん底ともいえる深刻さを呈しています。
 現在既にこのような状態にあることを考えると、今後実際に朝鮮戦争が勃発し、アメリカが大規模な軍事介入をして、日本の協力と参加を強く求めるに至った時点では、その逼塞感と虚無感・無力感は、ほとんどの国民の心を強く支配せずにはおかないと思われます。
 

次に、「敵意と憎悪」の問題に考察を進めましょう。
 国家と民族が戦争に突入する際に、主観的位相において大きな原因となるものに、偏見にもとづく敵意と憎悪があることは現在のユーゴをみても明らかです。過去においては、ユダヤ民族に対するヒットラー・ナチスの偏見にもとづく敵意と憎悪がありました。そして、天皇制軍国主義の大日本帝国における中国人や朝鮮人に対する偏見にもとづく敵意と憎悪もそれを証すものでした。
 そのかつて多くの日本人の精神を支配していた偏見にもとづく敵意と憎悪という悪しき意識感情は、こんにちも状況次第では、一挙に吹き出す恐れがあることを、日本人として非常に残念ですが、率直に、認めなければなりません。
 実際、現在も、何か北朝鮮が問題を引き起こすと、それに対する責任を取りようもない在日の朝鮮人学校に通う女子高生が、チョゴリ服を切られたり、髪の毛を引っ張られたりと、迫害を受けるのです。
 勿論、こういう野蛮な行為をする日本人は、決して多数派ではないでしょう。圧倒的多数の日本人は、そのような暴挙をしません。どの時代、どの社会においても、そうした狂信的な人物の存在はあるものです。その意味では、そういう例外的な人物の存在をもって、国民世論の厭戦感情が萎えることを危惧するのは論理の飛躍と考えられるかもしれません。
 しかし、迫害を受ける女子高生を助ける日本人がほとんどいないという事実を考えると、偏見にもとづく敵意と憎悪に狂う人物の存在自体は例外的であったとしても、一つの実態を作り出すことにおいては、その例外的存在が支配力を握っている現実は直視すべきでしょう。
 それに、そうした偏見にもとづく敵意と憎悪を個人的な次元で露わにするのは例外的だとしても、北朝鮮に対しては多くの国民が敵意と憎悪を抱き、その結果強硬手段に訴えることを求めるという状況は、決して例外的な話ではありません。
 尤も、12年前当時は、まだ敵意と憎悪は深刻ではありませんでしたが、わたくしは、いずれこの問題が発生することになるのではないか、と憂えておりました。


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