哲学的思想問題考 2012.05.04

 どうも日本人は、AかBかと二者択一を求める傾向が強い。そして、その時、Aを選択すると、100%Aの意識や感情や観念や論理を持っていて、対立するBの意識や感情や観念や論理を全く所有していないと決め付けてしまう。そこから、両者によるコミュニケーションは不毛な敵対闘争になってしまう。私は、これを避けたい。
 まずは、他者との接触の前に、己自身により自己内対話を徹底的に行うことを常としている。そこでは、異論・反論も自己の脳裡や心を駆け巡るのである。そういう作業を行った上で、他者と語り合うことになる。だから、私の場合、「議論」というより「対話」の実践を心がけているのである。

 
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結論はAでも、対立するBをも是とする意識や論理が己の中にある場合も少なくないというか、しばしばそのような思考展開を私は行う。その上で、結論はAが100%の場合もありえなくもないが、ほとんどの場合、A対Bの比率が、70対30であったり、時に51対49であったりする。
 そのような多面性を持たない主張には、私は、教条主義や独断主義という陥穽を危惧せざるをえないのである。
 

八ヶ岳

哲学的思想問題考

神はいるか、仏はいるか・・・私には分からない。だが、「弁証法的摂理」というものはあると確信している。「予定調和」とは異なるが、確かに、森羅万象をかくあらしめる、論理・道理をかくあらしめる「摂理」はあると。



哲学的思想問題考

歴史の進化・発展は、その「弁証法的摂理」に適っている時に「証」が示される。



哲学的思想問題考
JUGEMテーマ:日常


「弁証法的摂理」に悖るとは、どんな状態の時か?
私達人間について言えば、エゴ、独善、悪意、憎悪、傲慢、権力、詭弁等々の呪縛に自我が逼塞している時であろう。

哲学的思想問題考

☆精神の真の自由とは、今己の観念や意識や感情を構築している既成のそれらから解放され、超克する自由をも含むものでなければならない!

☆精神の真の自由とは、既存の自己の殻を自ら打ち破り、新生の自己を構築する自由を担保した精神活動に於いて成り立つものである。

☆他者のために些かなりとも生き得るために、或いはまた他者との屈託のない生産的交流を為し得るためにも、我執に閉ざされた己を超克する精神の自由が求められるであろう。
 

思想的・哲学的問題考1

思想の究極の到達点は、「無」または「悟り」と言われる。
が、私はそうは思わない。
人は現実社会の中で苦悩や悲しみを背負っている。
ゆえに、到達したと思ったなら、人は再び現実状況に立ち戻るべきである。
そこに存在する不条理と闘うべきである。
その境地こそ究極のものだ。
それを避ける「無」も「悟り」も、それこそ観念的で空虚なものに過ぎない。

−−−ベートーヴェンは言う
「内なる平和と外なる平和の成就」と。
この言葉こそ、他者連関の中で生きる個の尊厳の究極的な真理だと、私は信ずる。
 


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