【新型コロナウイルス】
安倍首相による唐突な場当たり的な発表後、初めての週末。
ディズニーランドや動物園など大勢の人が集まる場所の自粛が相次いでいます。

法的しばりはないものの、国のお達しははやり大きな影響力をもちますね。ならばこそ、熟慮と配慮、事前の対策が求められるところですが、それはそれとして、この1,2週間が感染爆発を起こさないために極めて重要な事は確か。
拡大感染をぜひとも防ぎたいものです。

とにかく「第二の武漢」になったら、休校がもたらす悪影響・損失どころの話ではなくなるのですから。

ここは、念には念を入れて、できることは全て実行するという対処で乗り切りたいところだと思います。

さて、戦争は絶対反対だという立場から時と場合によっては戦争もやむを得ないと、戦争容認へと傾斜していく観念に、「アメリカとの友好関係を絶対に維持すべきだ。そのためには、アメリカにできるだけ協力しなければならない」というものがあります。
 この観念も、ほとんどの日本人を捉えているもので、その際、アメリカへの協力とは、アメリカの要求を受け入れることと同義になっているのが特徴でしょう。言わば「力による抑止策」に全面的に依存してアメリカの軍事行動を積極的に支援する道を歩むというわけです。
 そこでは、日本国憲法が志向しているアジアの平和、世界平和のために、武力に頼らない非戦の位相での営みを通して、アメリカに協力する道を追求することなど、全く考慮の外です。また、現実主義の立場にたつとするならば、ベトナム戦争をはじめ、アメリカは度々先制攻撃をしかけて軍事紛争を引き起こす、かなり好戦的な国である、という事実を直視する必要があるはずですが、それも全く欠落しています。そうした日本独自の理念の志向や、アメリカの戦略に無批判的に追随する危険性の検証などに意識を向けることなく、むしろそうした在り方を日本の我が儘であり無責任であると自ら受けとめ、アメリカの要求を受け入れて、日本と日本人もなにがしかの犠牲を払うべきであるという観念が、年々顕著になってきています。
 尤も、12年前当時は、まだアメリカとの同盟関係の維持のために、こんにち出てきているガイドラインのような事実上の参戦行動まで日本が取るべきだとする観念は一般的ではありませんでしたが、これも状況の推移次第では、そこまで踏み込む議論が起き、親米的な国民の多くが、友好関係の維持を求める立場からアメリカの要求を最大限に受け入れることを容認するに至るであろうと、わたくしには容易に察せられた事でした。
 

さて、素朴な戦争への不安感や恐怖心、そしてそれが作り出す厭戦感情・平和志向意識という国民の意識感情の陥穽について、国民自身の主観的位相における意識感情それ自身に内在する問題を考察してきましたが、次に、わたくしは、同じく主観的位相における「観念」それ自身に内在する問題の考察へと進めていきたいと思います。ここでも、国民の反戦平和の志向と矛盾する幾つかの事実を指摘することができます。
 まず最初に考察するのは、「侵略からの祖国防衛」という大義名分についてです。
 「絶対平和主義」が国民的コンセンサスをほぼ失い、「専守防衛」という観念が広く浸透した時点から、「侵略からの祖国防衛」という観念が市民権を得たようです。
 そして「侵略」に対する恐れは、12年前当時、ソ連に向けられていました。北方領土問題に絡めて、北海道へソ連軍が侵攻してくるのではないかという反共イデオローグによる扇動的なキャンペーンが、それなりに国民各層の意識を捉えていました。わたくし自身も、ある有能な女子大生が「戦争の不安を感じている」と語ったので、意識の高い学生だと感心したところ、その戦争とは、わたくしが危惧する日本が軍事介入する言わば加害者となるそれではなく、まさに平和国家日本がソ連のような軍事独裁国家から一方的に侵略される、被害者となる戦争の事だったという体験をしています。
 そして、その女子大生は、「侵略からの祖国防衛」という観念のもとで、自衛隊の存在と当時の日米安保に全幅の信頼を寄せていました。さらに、戦争勃発それ自体は不安であり、避けたい事としながらも、「侵略」に対しては、武力をもって対抗し撃退するという形を容認しておりました。
 わたくしは、そうした体験もふまえて、仮想敵国からの攻撃に対する強い恐怖感を抱けば、良識ある国民の多くも、容易に「侵略からの祖国防衛」という観念に動かされ、憲法が禁じている国際紛争における武力解決の道も容認するに至るのではないかと、考えておりました。
 尤も、憲法上の問題はありますが、まだ当時容認していたのは、敵国からの日本への直接的な侵略に対する防衛としての武力行使でした。
 しかし、こんにち、それは、より深刻さを増しています。今国会で24日に成立したガイドラインも、それまでの安保と決定的に異なるのは、日本への直接的な侵略攻撃に対する言わば正当防衛としての武力行使――戦闘の場も日本領土内に限定される――から、<放置すれば直接的な武力攻撃の恐れがある場合>に際して、先制攻撃の権利を主張する米軍と共同行動を取る――相手国領土への武力攻撃を行う――ことを容認している点にあるわけですが、それと並行して、国民意識のほうも、特に相手が北朝鮮である場合には、<(日本領土への侵略の実態がない時点でも)、侵略の恐れがあるなら、米軍と共同して、他国領土への攻撃と侵攻を行うのもやむを得ない>という観念を抱くに至っております。そこにこの12年間での大きな国民意識の変化があります。
 当時、わたくしは、「敵国の直接的な侵略の事実に際しての、祖国を防衛するための武力行使」の容認という事実が、結局はそこに留まらず、「正当防衛」の観念を拡大し、言わば「攻撃は最大の防御」という観念の下に、米軍の先制攻撃に追随する道を容認するに至るのではないかと、危惧いたしておりました。日本人の「現実主義」は、そこまでいきつくであろうと、予測しておりました。
 

さて、国民の意識感情の問題でさらに二つ指摘しておかなければならない事があります。それは、「時代状況への逼塞感」と「どうせ自分が反対しても、世の中変わらないという虚無感・無力感」です。
 この両者とも、状況を反戦平和の方向に動かすのではなく、戦争に向かって突き進ませてしまう点で、無視し得ない現象です。
 尤も、12年前の当時は、客観的な状況としては既に、こんにちに繋がるかなり深刻なものがあったのですが、国民一般の精神的実態としては、閉塞感、虚無感・無力感のいずれも、さほど顕著ではなかったと言えます。
 しかし、わたくしは、遠からず、国民にこの「病」が浸透していくであろうことを、憂えておりました。実際、政治不信という形で、それは間もなく広く浸透し始めました。そして、今や、平和の問題に対してではありませんが、選挙における異常に低い投票率となって表れる政治不信は、どん底ともいえる深刻さを呈しています。
 現在既にこのような状態にあることを考えると、今後実際に朝鮮戦争が勃発し、アメリカが大規模な軍事介入をして、日本の協力と参加を強く求めるに至った時点では、その逼塞感と虚無感・無力感は、ほとんどの国民の心を強く支配せずにはおかないと思われます。
 


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